新、王様の耳はロバの耳通信

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ぼちぼちまた、面と向かって言えない本音を綴ります。

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修論デス

博士の後にナゼ修士?  物好きだからです。

書いた内容を他の方はどう思っているのか知りたくて、検索してみたら論文が出てこなかったので公開してみました。

日本のカトリック教会における、共助組合運動の意義

開地 智子

放送大学大学院 文化科学研究科
社会経営科学プログラム

研究指導責任者 坂井素思教授

2017年12月

要旨
1960年代から日本のカトリック教会のいくつかで、外国人宣教師を中心に共助組合という活動が始められた。共助組合は、組合員から出資金を集めてそれを元手に生活資金の融通を行う協同組織金融の一つであった。
宣教師たちはその活動によって信者を生活面でも一つの共同体にすることを望み、少人数の組合で組合員自らが運営する、創設当初のライフアイゼン式CUに近い方式をあえて選んだ。そのため組合は小教区毎に作られ、組合員は200人より少ないところが大多数であった。役員になった者は貸付返済の窓口業務、帳簿整理に加えて、組合が集まって結成した連合会への報告などで負担が非常に重かった。
一方、連合会では共助組合の活動について当時の大蔵省等に確認を求めた。その結果として、いずれ共助組合法を作るという含みで、当面は任意組合としての活動を認められた。指導者たちは立法化を目指して、組合数と組合員数を増やすべく奮闘した。
連合会指導者たちの運動への献身、各組合への叱咤激励、また共助組合活動についての教育によって、各組合では業務の困難さ、交代者・後継者難、運動方針への異論等をいっそう連合会に伝えられなくなり、両者の齟齬が重なっていった。後継者が得られず解散した組合もあって、組合数は想定通りに増えず、組合員数も同様であった。
実際にはライフアイゼン式に代わる良案があるわけではなかったが、連合会の指導者はそのことも含めて組合員と運動方針について議論することなく、一方的な指導を続けた。
結果として、共助組合の運動は頓挫した。
母体であるカトリック教会と同じように、日本共助組合も錯誤を重ねながら、補完性の原理に向かって苦闘した。その経過を通じて指導者から組合員の一人一人までが苦しんだ姿は、教会にとって一つの証しになったのではあるまいか。
目次


はじめに 1
第1章 日本共助組合の誕生から終焉まで 1
第2章 組合数、組合員数の変化状況    2
第3章 増強計画(1975~1979)を策定した事情 5
第4章 なぜ増強計画(1975~1979)が達成できな
かったのか 8
第5章 組合の制度設計 13
第6章 連合会による活動状況の分析 16
第7章 各国CUの現況と、日本共助組合との比較 18
第8章 消費者貸付の、他の可能性 21
第9章 運営方針をめぐる、連合会と組合内部の
動きと、その結末 23
第10章 社会活動とカトリック教会の関係  29
第11章 共助組合運動とカトリック教会との相互
作用 33
献辞                        36
文献 37

はじめに
1960年頃から日本のカトリック教会の幾つかで、志を抱く神父が「共助組合」という運動を始めた。「共助組合」は世界各地で発展している協同組合運動の一つであって、相互扶助という理念や運動方針を共有する協同組織金融(Credit Union、以下CU)であった。神父たちはこの運動を通じて、信者が精神的にだけでなく日常生活においても結びつきを強め、一つの共同体として生きることを目指した。しかしながら運動は思うように発展せず、約半世紀後に解散せざるを得なくなった。1) 本稿ではアメリカ合衆国、フランス、ドイツ、オーストラリア等、世界の主要国で成功しているCUが日本で根付かなかった事情および、日本共助組合の運動と日本のカトリック教会との相互作用について考察した。
1. 日本共助組合の誕生から終焉まで
共助組合(以下、組合)は日本各地の教会で、1960年頃からほぼ同時期に始められた。そのうち東北地方で組合の運動をしていた神父たちがイエズス会に強く働きかけ、数年して上智大学の中に情報センターが作られた。情報センターは1968年に日本共助組合連合会(以下、連合会)と改組2)され、それ以後は連合会で各組合の実績が把握できるようになった。
連合会では各組合が足並みを揃えて活動できるようにモデル定款を作り、また共助組合法の立法化に向けて動きだした。2) 立法化という目的を達成するためには、各組合が円滑に、そして活発に活動して実績を上げることが、まず必要であった。連合会は各組合の業務を指導し、業務の報告を求め、各組合と共に近隣に新しく組合をつくる勧誘活動も行った。また連合会がそれらの任務を果たし、立法化に向けて動くには資金も必要であり、連合会では外部からの助成金の獲得に奔走する一方で、各組合に経費の負担を求めた。こうして連合会と各組合は運動の発展のために努力したが、計画通りには組合数も、組合員数も増えなかった。しかも1988年頃から貸金業法による登録を求められるようになり、1992年に登録した際に約20組合が脱退した。その後は組合数、組合員数とも減り続け、改正貸金業法の完全実施に伴って指定信用情報機関への加入を求められたのを機に、2012年に解散を決議した。1)
2.組合数、組合員数の変化状況
連合会の発行していた共助組合ジャーナル(以下、ジャーナル)3)(以下、引用符省略)に掲載された数値(図1)によると、1967年に2千人弱であった組合員は次第に増加し、10年後の1977年に7千人を超えた。しかしその後は増加の度合いが半分程度になっている。1988年に約9500人まで増えたが、その後は一転して減り続け、2003年には4千人強となった。
この増加の度合いは、ジャーナル28号に掲載されていた「5か年計画」(表1)よりはるかに小さい数値であった。1979年には2万4千人を超えるはずだった組合員数は、実際には8千人程度にしか達しなかった。

図1.日本共助組合の総組合員数(ジャーナル各号の数値より作成)

カトリック
教会の
組合増加数
組合当たり
の組合員数
(人)
プロテスタント
教会の
組合
増加数
組合
当たり

組合員数
(人)
企業や
団地の
組合
増加数
組合当たり
の組合員数
(人)
総組合員数
(人)
実績
1974
39
125

4875
*想定
年度毎の
組合
増加数
1975
15
125
2
50
1
200
7050

1976
20
125
4
50
2
200
10150

1977
25
125
6
50
3
200
14175

1978
25
125
8
50
6
200
18900

1979
25
125
10
50
8
200
24125
表1.組合数、組合員数増強5か年計画(ジャーナル28号 1974年8月発行より作成)
図2に示す通り、組合数の増加も同様に5か年計画に全く届かなかった。つまり1979年に160を超えていなければならない筈の組合数は、実際には60にとどまったのである。
3. 増強計画(1975~1979)を策定した事情
これほどまでに、実績に比して過大な計画を立てたのには理由があった。 連合会の設立にあたって大蔵省銀行局と厚生省(いずれも当時)に相談したところ、将来は共助組合法を作ってその下で活動するという含みで、当分の間は任意組合として活動することを認められたのである。共助組合法の立法を求めるためには、まず組合数、組合員数、取扱金額を出来る限り増やさねばならなかったので、連合会では組合の設立を呼びかけるとともに、各組合を叱咤激励した。
経緯としては、連合会はまず法人化について検討したが、規模が小さ過ぎて信用組合の要件を満たせず、対象を組合員に限定する必要があることから社会福祉法人にもなれないことが明らかになった。
「1967年5月(中略)第二回共助組合代表者会議が開かれ(中略)準備委員会の設置を決議した。(中略)委員会が最も苦労したのは、日本の法規制の中で、共助組合をどう位置づけるかという点にあった。東京大学の若手法学者の協力で、センターは規約ひな型案を起草し、準備委員会の承認を得た後、大蔵省へ提出した。それと、もう一つ準備する必要のあったのは、連合会の定款或いは規約であった。これも規約ひな型案と共に同省の銀行局に提出された。担当の事務官は(中略)規約案について彼らは、若干の修正を要求し、又将来の連合会の法人化に関して、いくつかの示唆を与えた。(中略)1968年11月24日日本共助組合連合会は設立されたのであった。
(中略)現在の組合は民法上の任意組合に過ぎない。これは各種の利点のある根拠法を有した他の組合法人に比べると多くの点で共助組合を不利にしている。例えば、課税の問題等である。法人格を得る為、大蔵省や厚生省に何回か足を運び、この件について担当事務官と会合を重ねた。又、既に法人格を有した信用組合や銀行関係者にも会い意見を交換した。
そして日本の信用組合は法律により、300人以上でかつ5千万円以上の資本が設立時に要求されていた。通常共助組合はもっと小型で資金も少ない。また連合会が法人格を得るには、非公式に示された範囲では、3億円程度の資産が必要だという話であった。
社会福祉法人格を得ることは不可能というわけではないように見えた。しかしこの案には明らかな欠点があった。法に定める社会福祉法人は、その対象を限定された組合員のみに限ることは許されない。従ってその案は共助組合の本質と矛盾してしまうので、採用するわけにはいかなかった。」4)
銀行でも協同組織金融業でもないなら、例えば平成26年度の産業分類5)では現金の貸借を行う「J-1.金融業」のうち、「64 貸金業,クレジットカード業等非預金信用機関」になってしまう。共助組合としては貸金業に分類されることを避けて、当面は任意組合として活動しながら、共助組合法の立法化を目指すこととなったのである。
「1970年1月より連合会は(中略)次の2名の顧問を迎えた。有泉亨 上智大学法学部教授、東京大学名誉教授、弁護士、森静朗 日本大学商学部教授。
連合会では顧問と共に大蔵省銀行局、都庁経済局等関連官庁を訪れ、以下の結論を確認または得るに至った。
1)共助組合は、協同組合、金融組織に関するいかなる法律にも適用され得ない。
2)共助組合は、当分の間、民法に基づく任意組合として運営することができる。
3)共助組合の法的保護のためには、独自の共助組合法の立法が必要である。
したがって次の段階として共助組合法の立法化をめざすことになり有泉教授は、香港の共助組合法令及び韓国の共助組合草案等を検討し、立法化に必要なこととして次の点を挙げられた。
1.共助組合数を最低50にする。
2.共助組合を教会内のみでなく、職域、住域に広げる。
3.出資金共済、貸付金共済、自己共済からなる共助組合共済制度を実施する。
現在は、1日も早い立法化をめざして努力を続けている。」6)
つまり任意組合では利益を出すと課税される、損失に対して各組合員や、神父を含む役員が無限責任を負ってしまうといった不都合が生じる。何よりも問題なのは、貸金業法での登録はしばらく猶予されているだけであった。これらの問題を解決しようと、連合会では一日も早く共助組合法を作ることを目指し、そのために組合数、組合員数を大幅に増やすことを計画したのであった。

4.なぜ増強計画(1975~1979)が達成できなかったか
組合数を増やすには、各組合が役員を中心にして連合会と協力して近隣の教会等に設立を呼びかけることが必要であった。また各組合の組合員数を増やすにも、役員を中心にその教会内で勧誘せねばならなかった。
しかし1968年に連合会を結成して早くも10年以内に、4つの組合が解散していた。
「連合会設立後10年経った今日58共助組合が活躍していますが、その間4共助組合が解散しました。解散の理由は、それらが十分に活動できなかったり、あるいは小さいままで終わったため規約を守ることができず、発展する可能性がなかったもので、使い込みや焦付きによるという理由で解散した組合は一つもありません。」(ジャーナル71号 1978年1月)
つまり解散の理由としては、十分に活動できない、発展の見込みがないというものであった。また存続していた組合についても、決して順調に活動しているという訳ではなかった。
「事務局から「躍進の背景」という題で原稿を依頼されたが(中略)はなはだ疑わしい状態。過去1年間のあしどり 発足時(1974年) 4/1 加入者101名 出資金82万2千円 年度末164名 314万4千円。(略)予期以上の好成績をあげたわけですが、その背景(略)、次の三つの事があげられます。1.常務理事に有能な適任者をえたこと、2.主任司祭の積極的な援助があったこと、3.各役員の犠牲的協力があったこと。岡山教会の場合、信者数2千余名(子どもを含む)で初年度には組合員の加入増が比較的やりやすかった(略)。
今後の課題としては、もっと魅力のあるものにする必要があり、したがって相互扶助の精神とか、その他理想論を唱えて出資者に犠牲ばかりを強いるのではなく、できるだけ高率配当にし、また借用者への手数料も少しでも低率になるようにすべきだと思われます。岡山CU理事長」(ジャーナル25号1974年5月)
このように、連合会から「躍進の背景」という題で依頼されたにしては、妙な論調の文章が載せられている。つまり規模の大きな教会で、神父の協力と、役員の人脈とで、初年度の組合員集めは予想外にうまく行った。しかし今後については出資者、借用者の双方に対してもっと魅力のあるものにする必要があり、理想論を唱えている場合ではないと、厳しい見解を述べているのである。
実際のところ、増強計画(1975~1979)は立てたものの、1978年から1982年にかけて解散する組合が次々と出た。一方で新しく設立された組合も少しながらあったため、合計としては1982年にいったん減少して、その後は微増という状況であった。
解散した事情に関して個々の組合を調べることは難しかったが、ジャーナルの記事から組合運営の困難さが窺われた。例えば次の記事では、組合役員が窓口業務、事務作業、総会とその準備、監査、他教会への広報活動等のために、月のうち半分近くの日数で組合の業務を行っている。組合役員の負担が非常に重かったのである。
「共助組合記録メモから5月の足取り 5/1 名西支部のコピー準備 5/4 某理事より電話あり 5/5 朝から総会準備のため配当金計算などの応援、特別出資金の計算 5/6 窓口多忙、午後教会委員会に出席、出資袋、抽選券の依頼、総会の通知など 5/8 連合会事務局より電話あり、加藤常務と打ち合わせ 5/9 理事会 5/12 浅井地区家庭会にて共助組合の現況報告 5/13 窓口業務 5/15 監査委員会の監査立ち合い  5/16 小牧その他総会への出席依頼 5/19 木曽川地区家庭会に参加、共助組合のPR 5/20 第15回総会。連合会常務理事、一宮CU理事」(ジャーナル88号 1979年6月)
また各組合の役員は自身の組合業務だけでなく、連合会への報告もせねばならなかった。これは実際にはしばしば滞り、ジャーナル上で連合会から注意されている。
「先だって、有泉先生が大蔵省をお訪ねの際、共助組合の現況について説明を要求され、最近の数字が不十分なために困られたとのお叱りを受けました。(著者不明)」(ジャーナル25号 1974年5月)
「連合会への月例報告の提出が遅れている組合がかなりありますが、月例報告の提出は組合事務の基本的なことであります。連合会理事長」(ジャーナル90号 1980年1月)
こういった役員の苦労に対して、一般の組合員は活動に積極的に参加していたという訳ではないようである。
「この2,3月をスリーピングメンバーを目ざますための運動月間にあて(略)。下井草CU」(ジャーナル25号 1974年5月)
「1回のみ出資の組合員の方が各組合とも50~70%もあるようであり教育活動の必要を痛感しました。連合会理事長」(ジャーナル28号 1974年8月)
「協同組合の敵は外だけではなく、組織の内側にもある。そのもっとも怖ろしいものは組合員の無関心である。連合会顧問」(ジャーナル58号 1977年2月)
「典型的な共助組合の例。247人の組合員によって3305000円の出資金が集められている。組合員の半数の人が5000円以下の出資金。(略)この半数を占める組合員の出資額は230500円で、全体の7.0%、一人平均の額として1859円という数字(略)」(ジャーナル70号 1977年12月)
「日曜日午前中の事務の単調さとのたたかいもある、総会をひらいても思うように多勢の人数を集めることが出来ぬ淋しさも味わった、ずるい返済態度に対するやるせなさ、思うように組合員や出資金の伸びぬなやみ、連合会会費納入の件も毎年そのための依頼状を組合員に配布しても行き届かないもどかしさ、名古屋教区の他教会に共助組合が発足しない淋しさ、思いつくままに列挙した。一宮CU理事長」(ジャーナル32号 1974年12月)
このように組合員の半数以上は一回のみ2千円以下の出資額であり、総会を開いても参加する者は少なく、出資金も増えないという具合であった。
前述したように、組合員の中から選ばねばならない役員の負担が非常に大きく、新しい組合員はなかなか加入しなかった。入ったとしても積極的に活動するのでなく、半数以上が一回限りの出資者にとどまった。そして間もなく後継者難が明らかになってきたのであった。
「リーダーたち、つまり役員や運営委員、執行委員といった人たちの共通の悩みは、仕事が忙しすぎ負担が重すぎること、交代者や後継者が得られないことにあるようです。連合会顧問」(ジャーナル56号 1976年12月)
「八戸の脱会を皮切りに続いて大湊、十和田も後継者がいないということで昨年脱会いたしました」(ジャーナル143号 1986年10月)
「後継者難というような極めて憂慮すべき(略)」(ジャーナル156号 1988年9月)
後継者のいない組合が増え、そのままでは発展が望めないことが明らかになってきたとき、連合会ではその対策として組合結成を呼びかける範囲を広げることにした。
「共助組合運動の発展のため、従来枠外であった小規模な教会、団体所属の方々にも融資の道をひろげる(中略)教会外へ共助組合を設立するための研究を始める」(124号 1985年1月)
しかし他の団体で設立することも、うまく行かなかった。
こうして各組合では新しい組合員や役員の後継者を得ることが難しく、逆に解散する組合も出てきており、しかし教会外の団体に組合を設立することもかなわなかったので、組合数、組合員数とも思うように増加しなかったのである。

5.組合の制度設計
これほどまでに組合業務が大変であった大きな理由は、各組合のサイズが小規模に設計されていたからであった。つまり組合は教会(小教区)ごとに作られており、教会員は通常数百人程度である。その内の有志が加入したので、図3に示した通り、組合員が200名未満の組合が多く、更にその半分は100名未満であった。

この少数の組合員の中から、損益計算書、貸借対照表の作成といった会計処理を行う技能があり、かつ時間等の余裕を持った者を探すのは大変であった。小さな教会など、教会の会計事務を行う役員が、組合役員を兼ねるところも多かった。まして、業務を交代できる人員を見つけるのは容易でなかった。
このように役員の負担がきわめて重いにもかかわらず、小教区毎に一つの組合でなく、1ないし幾つかの教区で1つの組合を形成する形をとって組合当たりの規模を拡大しなかった理由は、日本共助組合がライフアイゼン式で運営したからである。7)
CUは、19世紀のドイツで農奴解放に伴って都市に農民が流れこみ工場労働者となったが、生活に困窮する者も多いのをみて、彼らを生活苦から救おうとして始められた様々な試み8)の一つであった。当時は2人の先駆者ライファイゼンReiffeisen, Friedrich Wilhelmと、シュルツェSchultze-Delitzsch, Hermannにより、性格の異なる2種類の信用組合が作られた。
その後、ドイツ9)やCUの発展した他の国々では、シュルツェの方式に近いCUが一般的となっていったが、日本共助組合ではあえてライフアイゼンの方式を選び、規模を小さく保ったのである。

ライフアイゼン式
シュルツェ式
組合員
専ら地方に
都市における中小商工業者

行政区域に従い一町村を限って置き、なるべくその範囲とするところの人口の多からんことを

目的
信用授受の組合たるのみならず、それと同時に精神的結合に目的を有し、組合員の精神的修養、宗教的薫治などは組合の重大任務
主として中産階級の
産業上の利便のため
運営方針
組合員の利用に重んじ、貯蓄預金の利子は成るべく高く、貸付利子は成るべく低くし業務の成績は常に組合員の利便を大小によって図り利益金の多少によって計らず
なるべく多種類の人々を吸収して組合員たらしめ、できる限り大なる資本を集め、その資本の大を以て金融上における信任を確実にし、業務上の実力を大に
業務
なるべく業務を簡単にし農民の利用の実際的必要に応ずるを以て満足する
有価証券の売買、手形の割引などを行い、動産担保に対する貸付も為す
表2.ライフアイゼン式とシュルツェ式信用組合の特徴
(文献10より抜粋)
日本共助組合は表4にあるシュルツェ式のような組合員の経済的な利便のみでなく、ライフアイゼン式の精神的な結びつきという目的を持つ。
そこでシュルツェ式のように専門職によって多様なサービスを提供し、人数や地域の制限をせずに多くの組合員を加入させ、出来るだけ資本規模を大きくするという方法をとらなかった。つまりライフアイゼン式に、各組合は一つの小教区からの信者に限り、出資貸付の単純な業務のみ行うこととした。また資本規模の拡大よりは出資者や借用者への直接的な利益を重んじ、業務を組合員自らが無給で担う方式とした。
そうすることで、精神的な結びつきによって貸付をすることを可能にした。言い換えれば貸付に際しては客観的な信用力でなく、人柄によって判断したのである。
「かっての組合が貧しい者が結束してその貧しさを克服する為に一つの有効な機能を果していたのは事実(中略)そういった貸付け申し込みがあった時、それを看過してしまうようでは共助組合とはいえませんし、それを組合の第一義的使命を考えなければならないのは云うまでもありません」11)と連合会の出したハンドブックには記載されている。共助組合の理念「貧しい者が結束してその貧しさを克服する」を実行するには、ライフアイゼン式でなければならなかった。

6.連合会による活動状況の分析
理念はともかくとして、実際の活動状況が芳しいものでなかったため、連合会では様々な分析を試みた。その一つは次のものである。
「日本の共助組合は(中略)既設組合の組合員や資金量の増加もあまり顕著ではなく、未設置の教会に新しく組合を設立する試みも、さまざまな困難にであっている。問題点をいくつか拾ってみると、
(1)聖職者や代表的な信徒の中に、教会を日本的感覚で神聖視し、反対に金銭およびその貸借をいやしいものとみて、その教会内への持ち込みを拒否する傾向が時折みられること。
(2)一般信徒の間にキリスト教共同体の社会的活動に対する習慣や訓練が必ずしも十分でないこと。
(3)そのため積極的活動家の数が少なく、一度教会の何かの役につくと肩の荷が次第に重くなり、共助組合の設立はその荷をさらに重くするものとして敬遠されること。
(4)共助組合を教会内の他の種類の諸活動と同種の活動の一つと誤解して受け入れ、信用協同組合の一種としての共助組合活動そのものには、理解も関心も示さない役員や組合員が少なくないこと、などが挙げられる。」4)
このうち(1)については、キリスト教ないし教会で金銭を扱うことに関して日本のカトリック信者が諸外国とは異なる指向を持っているのか、更にそれが共助組合活動に影響を及ぼしているのかを検証することは困難であるため、今回は考察の対象としなかった。
一方、(2)(3)(4)については日本と、クレジットユニオン(以下、CU)の発展している国々とでは意識というより、その前提となるCUの活動状況が大きく異なっている。例えば(4)については、アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア等では人口の数十%がCUの組合員であり、教会の活動としてではなく金融機関の一種として、また生協のような協同組合の一つとして、特別視されずに受け入れられている。
(2)(3)については更に大きな相違点が、日本と他の国との間に存在する。つまり日本共助組合は他国のCUとタイプが異なり、ボランティアに多くの任務を依存する活動であり、非常に負担が重かった。しかし教会での社会的活動の経験が少ないために、統治と意思決定の過程に問題があり、多くの信者が参加したいと思う活動にしていくことができなかったのである。

7. 各国CUの現況と、日本共助組合との比較
日本共助組合と違って、世界各国ではCU運動は大きな広がりをみせている。近年の状況は次の通りである。 表3.各国のCUの現況(文献12より改変)

CU数
CU
組合員数
(万人)
資産
(億USD)
組合員数人口比(%)
一組合当たりの組合員数(万人)
CUが成熟期にある国や地域

米国
7808
9116
8968
44.3
1.17
カナダ
954
1082
2297
47.0
1.13
オーストラリア
111
347
422
24.0
3.13
フランス

1670
2393
52.7

韓国
982
519
341
14.8
0.53
移行期

ケニア
3966
384
33
17.8
0.10
香港
44
7
8
1.4
0.16
台湾
336
20
7
1.2
0.06
スリランカ
8440
88
0.5
6.1
0.01
シンガポール
34
20
7
5.6
0.59
タイ
2216
313
284
6.7
0.14
アイルランド
503
296
201
75.4
0.59
英国
453
79
11
2.0
0.17
ポーランド
62
203
40
7.4
3.27
フィジー
29
2
0.2
2.5
0.07
ニュージーランド
22
17
4
6.1
0.77
カリブ海
556
302
45
18.9
0.54
ラテンアメリカ
1784
1498
381024
(文献通り)
4.8
0.84
初期

アフリカ(ケニアを除く)
10408
1176
17
6.3
0.11
アジア(成熟期・移行期にある国を除く)
10163
3143
797
2.6
0.31
ロシア
130
21
2
0.2
0.16
ウクライナ
729
219
5
6.8
0.30
Source: World Council of Credit Unions (Raw Statistical Date 2009)表3によると、CU運動が成熟期にあるとされている、アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、フランス、韓国では人口当たりの組合員数が15%から53%を占めている。うち韓国と、CUの分類が多少異なるフランスを除くと、一つの組合の組合員数は1万人を超える。これらの国のCUは国毎の資産合計は、いずれも300億アメリカドル以上である。
このように、図3で示したように組合員数が200名未満で、日本全国の総組合員数が最大でも1万人足らずであった日本共助組合とは、規模がまるで異なる。
一方、表3でCU運動が移行期にあるとされる国々は、英国、アイルランドを除くと、香港、台湾、シンガポールといったアジアに多い。また初期は、アフリカや移行期以外のアジア諸国と、ロシア、ウクライナといった経済的に不安定な国々である。移行期、初期のCUは、資産、人口比、組合当たりの組合員数が、成熟期の国々のそれらより少ない傾向がある。しかし組合員数が平均100人のスリランカ以外は、移行期、初期にある国々のCUのどこも1千人から8千人の間にある。人口比も0.2%のロシアを除くと、どの国でも1%以上の国民がCU組合員なのである。
つまり日本のCUたる日本共助組合は、移行期、初期の国々のCUよりも更に組合当たりの組合員数が少なく、人口当たりの組合員数も桁違いに少ない、特異なCUであったことが分かる。

8.消費者貸付の、他の可能性
ライフアイゼン式CUが日本のような国で運営するのには困難ならば、5章で述べた共助組合の理念「貧しい者が結束してその貧しさを克服する」を実現するために、経済的に困窮した人に現金を貸し付けるには、どのような方法があるだろうか。
日本で実際に存在するのは、社会福祉協議会による生活福祉資金貸付事業と、民間団体の行うものである。生活資金の貸し付けも含めて、日本でマイクロファイナンス事業を営む組織は「NPOバンク」と総称されている。
2006年の改正貸金業法により①財産的要件を純資産5千万円に引き上げ、②貸金業会、個人信用情報機関への実質的強制加入による会費負担、③貸金業登録手数料(15万円、3年更新)、その他の負担が課されることになった。そしてそれに対して金融庁への働きかけを行われた結果、「改正貸金業法に関する内閣府令の改正」により、一定の基準を満たすNPOバンクについては貸付業務経験者の確保義務の免除、および指定信用情報機関の信用情報の使用・提供義務の免除及び総量規制の適用除外を得られることとなった。13)
NPOは資金や人材に余裕のないことが多く、存続のためには是非ともその適用除外が必要となる。そのためには非営利性を担保する必要がある。
そこで考えられる事業スキームは、①特定非営利活動法人(NPO法人)、②一般社団法人/一般財団法人、③協同組合である。これらはいずれも設立が難しく、また①は出資の受入れができない、法律により特定非営利活動が限定列挙されている等の問題があり、実際には殆どのNPOバンクが任意組合の形態をとっている。現況としては2014年3月現在で、未来バンク、女性・市民コミュニティバンク、北海道NPOバンク等、計14の団体が設立されている。融資対象は、市民事業、NPO団体、非営利組織、自然エネルギーなどの環境を対象としたプロジェクトであり、生活困窮者向け融資としては、一般社団法人生活サポート基金という一団体のみが知られている。13)
同基金は2006年より貸金業を開始。改正貸金業法および、金融商品取引法の適用除外を取りつけている。コミュニティ・ファイナンスを目指し、多重債務者や生活困窮者の生活再生を目的として活動をしている。従業員はボランティアではなく正規の社員である。業務内容としては、生活相談事業、福祉事業、生活再生ローン、個人再生ファンド、東京都多重債務者生活再生事業等を行っている。生活再生ローンの原資は、匿名組合出資による「個人再生ファンド」を通じて調達しており、個人(106名)、パルシステム生活協同組合連合会、生活クラブ生協・東京、未来バンク事業組合、東京コミュニティパワーバンク、他法人が出資している。13)
このようにNPOバンクを設立する手もなくはないが、活動資金を得ることと優秀な職員を得ることは、ライフアイゼン式CUと同様に難しい。更に、貸金業法の特例を受けるためには生活困窮者向けの貸付でなければならない。生活困窮者も含めた信者皆の共同体を形成するという、日本共助組合の目的とは違ってきてしまうのである。

9.運営方針をめぐる、連合会と組合内部の動きと、その結末
運動に加わった組合員や役員の間で、共助組合の目的に関しては一定の理解が得られていた。
「私たち信者の使命はキリストの愛の精神を、現実の経済問題など現代社会のなかで、実行しキリスト教的地域社会を建設することであろう。浦上に共助組合を設けるまでは、教会は『霊的指導を受けるところ』であり『霊的なよりどころ』であると考えていたが、共助組合を紹介されて初めて教会は霊的指導のみでなく、社会生活に必要な経済問題も指導し、解決のための協力をしなければならないと考えるようになった。人間は肉体と霊魂を合わせたものである以上、霊魂はもちろん大切であるが肉体もまた大事であり、神と理想に従って社会生活を営むために経済問題は重要なのである。必要なお金がなければ、しなくてすむ夫婦喧嘩もしなければならない場合だってあるのではなかろうか。
中には3万や5万のお金を借りるのに教会の世話にならなくてもという声があったが、私たちは、『浦上の信徒戸数1300戸のうち1250戸のためには共助組合は要らないかも知れない。しかし残りの50戸のためには絶対必要であろう。教会を一つの家族と考えるとき、この50戸に愛の手をさしのべるために加入してほしい』と、一戸一戸巡回して要請したのであった。浦上CU理事長」(ジャーナル27号 1974年7月)
このように愛の精神を実際の生活でも実践し、経済的にも協力し合うのが教会の教えであり、共助組合はそのための活動だといった、信仰を告白する記事がジャーナルには再々見られ、反対する意見は載っていない。
しかし連合会、各共助組合の運営方法については、ジャーナルに不満が多数掲載されている。
「いつも共助組合ジャーナルで連合会の危機とか5ヵ年計画といった文言をみるが理事会からの話はない。出資金だ、連合会費だと金は集められるが、それがどのように遣われているのか、末端の組合員には知らされていない。組合員にPRしても耳を傾けないという声もあるようだが(中略)教育は一方通行の講話ではなく、対話によってでないと成立しないと思う。意見を吸い上げ、それをよく聞き、納得するまで話し合うという地道な活動がなおざりにされていることが多いのではないか。何号か前にどなたかが連合会は官僚的になっていると問題提起されていたが、そのままになって残念だ。けれども官僚的という一方で官僚的なものを醸し出している原因が単位組合やその役員、組合員の中に大きく澱んでいるということはないか、それも一つ、二つではなく多くの組合で。熱心なリーダーや一部の役員の努力に隠れており、いったん何かが作用すれば問題が噴出してくるとさえ考えられる。一組合員(匿名希望)」ジャーナル61号 (1977年5月)
連合会や役員からの説明が欠けており、組合員の意見を吸い上げ、納得するまで話し合うという活動が足りない、官僚的な上意下達の運営になっているとの批判である。
しかし連合会がこの批判に応えて共助組合の運動方針を、8章で示したような選択肢も含めて、根本から検討し直すことはなかった。総じていえば指導者は次のような態度に終始したのであった。
「組合員や単位組合からみれば、連合会にもっとやってもらいたいこと、やり方の気に入らない点などいろいろあるだろうが、事務局が会長のラフォント神父を含めて3人で、しかも財政補填のために抽選券や巡礼旅行のような仕事まで負わざるをえない状態で、今以上に何がやれるでしょうか。連合会顧問」(ジャーナル64号 1977年8月)
「今日の外国宣教は、一般的に現地の文化と社会にあった方法をとる努力はしているが、彼らの知識と心の支えとなる拠所は、しばしば彼らの故国の文化であり社会であるということは否定できない。彼らが教会の信者から、当初多くの疑いと反抗を受けたにも関わらず、まったく動じなかった一つの理由は、彼らに故国での長い成功の歴史を有した共助組合運動に思いを馳せることが出来たからであった。」4)
実際に、長く連合会会長を務めたラフォント神父は、連合会の経費を稼ぎ出すために「ヨーロッパ巡礼」を企画し、団長としてローマ、スペインの都市、ルルド等を回り、外部組織からの補助金を獲得するために奔走し、組合設立を呼びかけて日本各地の教会を訪ねたりと、献身的に活動した。連合会事務局の他のメンバーも同様に、組合の発展のために力を尽くしたのであった。
ただし連合会や各地の教会で組合を主導したのは、連合会会長をはじめ、外国の教区や宣教会から派遣された神父が多かった。なるほど彼らは坐禅を組んだり、葬儀に焼香をさせるなど日本の文化を理解したり取り入れる努力はした。しかし共助組合を運営するのに、日本社会に適合するのかも判断せず、あえて故国の現状とは異なる創設当初のCUをそのまま持ち込んだ。
そして組合が発展しないのは、彼らの持ち込んだCUへの理解が足りないからだとして、指導者たちは組合員への教育を強化したのであった。
「森教授のご講演では、戦後の日本経済金融構造の変遷、人々の価値観の移り変わり、協同組織、協同組合金融の類型についてご説明があり、人間と資本、精神と物質との調和をもたらす真の協同組合運動は共助組合運動であると強調された。連合会理事長」(ジャーナル28号 1974年8月)
「名古屋地区練成会 相馬司教あいさつ 『世界は利益追求の場ではなく、愛の場である。信徒は世界を愛の世界に、愛の共同体とするために、助け合い、睦み合い、祈り合うように(略)生活の中で具体的に助け合うことから愛が実践されるのであるから(略)愛なくして幸福をつくろうとする努力はすべて失敗に終わる(略)私たちは現代へと挑戦としてお金で築く愛の場』と。」(ジャーナル43号 1975年11月)
「単に利便な金融の道を開くのみではなく、そこに教育が介在してはじめて(略)私たちが銀行へ預け入れた預金は一体どう運用されるのか。(略)連合会事務局」(ジャーナル78号 1978年8月)
このように運動が進んでいった結果、各組合の実際の状況としては、一部の指導者が熱心に共助組合の意義を説き続け、役員が活動方針に懐疑を持ちつつも新しい組合員を募り業務に労苦を重ね、多くの組合員は一回出資して終わりという構図が変わらなかったのである。
それぞれの組合全体では図4に示す通り、数値の得られた2005年までの期間を通して貸付残高が1千万円を超えた組合は10未満にとどまった。このため貸付からの収益によって職員を雇うことも、広報活動で組合員を増やすために資金をつかうということも出来ず、役員の負担が重いままであった。そして新しい組合員が入らず、役員の交代もできなかった。

図4.各組合の貸付残高の推移。(1990年前後に活動を終えた組合については太線。なお途中で線の中断している組合については、締切日までに連合会に活動報告がなく数値が得られなったものもあり。)

こうして各組合の活動が活発にならないままで、共助組合法の立法化に向けて運動する力も持てず、ついに貸金業法への登録、次いで指定信用情報機関への登録を求められるに至って、もう続けることはかなわなくなったのであった。

10. 社会活動とカトリック教会の関係
1891年に教皇レオ13世は、最初の社会回勅と呼ばれる「レールム・ノヴァルムRerum Novarum」14)を発表した。その中で、教皇は労使によって構成される職業組合、あるいは労働者のみによって構成される労働組合の、国家に対する先決権を認めた。15)
すなわち、「個人がその発意と努力によって果たしうる仕事を奪って、より広大でより高次な集団に託することは、不正を犯すことであり、社会秩序をはなはだしく損ない、乱すことになります。あらゆる社会活動の本来の目的は、社会の構成員を助けることであって、それを滅ぼしたり、吸収することではありません」。16)と宣言した。これがカトリック教会において社会活動の原理を、「補完性」という言葉で示した最初であると云われている。17)
この回勅が書かれた背景には出身国であるイタリアやヨーロッパ諸国の社会情勢があった。1861年に統一国家イタリアが成立したが、近代国家としてなすべきことは山積しており、工業化、近代化をはかるために農業が犠牲にされた。大量の国債、外債が発行され、リラ貨が暴落するとともに、製粉税、塩税、牛馬税が課せられ、農民と小麦粉やトウモロコシ粉を常食とする下層階級に大きな打撃を与えた。また政府が自由主義経済政策をとったため工業に大きな打撃を与え、工場労働者が困窮した。更に1888年には独墺伊軍事協定に参加したため、フランスから経済断交を受け、人々は生活苦にあえいで土地を放棄し、毎年20万人以上が海外へ移住した。国内でのストライキ発生も1888年以降は毎年100件以上も起こった。13)
イギリス・フランスにならって各種協同組合運動が展開されて社会主義思想が育まれ、農村では後年ファシズムの温床となる農民同盟が組織されていった。13)
こうした状況下で、間接的にではあるが、労働者扶助団体や労使合同の組織が新しく形成され始めた事実を、レオ13世は肯定的に受け入れ、推奨した13)。否、せざるを得なかった。
しかしながら19世紀まで待たずとも、社会の中で力のない者、困っている者が叫び、それに対して、中心にいる者がその苦しみを見てその叫びを聞き、その行動や団結を擁護することこそが、聖書でも複数箇所に出てくる、カトリックで説かれてきた重要な教えなのである。
「主は言われた。『わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し(略)』」出エジプト記3,7-818)
「その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。(中略)しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判を、してやろう。(略)』」ルカによる福音書18,3-518)
「そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシャ語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。『(中略)評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。』」使徒言行録6,1-318)
「やもめ」にうるさく訴えられた「裁判官」のように、「農民」「工場労働者」「下層階級」がメンバーとなって「各種協同組合」「労働者扶助団体」を組織し、生活苦を訴えた、社会の末端にある者からの動きによって、カトリック教会の中心である教皇庁が動き、回勅が書かれた。まさにこの回勅の成り立ちは、「補完性の原理」を体現したものであった。
しかしながら、このように初代教会の時代から教えられてきたことに反して、おそらく他の宗教団体と同じように、カトリック教会も誤謬の歴史を重ねてきた。カトリック教会は地区の教会(小教区)を1人から数人の神父が担当し、小教区をまとめて教区としたもの(日本では16教区)をそれぞれ1人の司教が担当し、司教の筆頭であるローマ司教が教皇として全世界のカトリック教会を統べ治める構造になっている。この統治方法を千年以上も続けているカトリック教会とその指導者たちは、途中で間違った意思決定を何度も行い、異端審問によって多くの者を死に追いやり、アメリカ大陸で略奪と殺戮をし、また東方教会やプロテスタント教会の離反を招いた。
まさに動物行動学者が「宗教はまた、その適用にあたって超儀式化がなされたり、神の職業的な”助手”たちが神の力をちょっとばかり借用して自分でその力を振るってみたい誘惑に打勝てなくなった場合には、不必要に多くの苦悩や苦痛を与えるものとなった。」19)と言った通りなのである。
このように言う倫理神学者もいる。「兄弟姉妹の中で最も小さい者の中にキリストを賛美する心構えができていなければ、貧しい人々のためのキリストの良い知らせを正しく理解することは決してできないでしょう。(中略)もしも、倫理神学者たちの説く道徳が、教育を受けた人々のためのものならば、結局のところキリスト者に求められるのは、仲間の最も小さな人たちをイエスの目を通して見、口を開くときにはいつも小さな人たちを忘れないということ、つまりは、上から見下ろす姿勢の範囲にとどまることになるでしょう。」20)
「兄弟姉妹の中で最も小さい者の中にキリストを賛美」するようにと、カトリック教会は教えるのである。それでも教会が教えていながら、同時にその指導者たちが、「神の職業的な”助手”たちが神の力をちょっとばかり借用して自分でその力を振るってみたい誘惑に打勝てなくなった」19)ことが、余りにしばしばあった。
「教会は、その懐に罪人たちを抱えていて、聖なるものであると同時に、常に清めを必要とするものであり、休むことなく悔い改めと刷新の努力を続けていくのです」21)、「旅路にある教会は、地上の人間の制度として、常に改革へとキリストから招かれている」6エキュメニズムに関する教令22)と、教会自らが認めている通りなのである。

11.共助組合運動とカトリック教会との相互作用
共助組合の運動は、信者が精神的にだけでなく、生活上でも結びついた共同体を作るというカトリックの教えに沿って始められた。この目的のために、ライフアイゼン式CUが選ばれた。そして選ぶ際には神父と少数の専門家のみが関与した。しかも活動は実際にはうまく発展しなかったのに拘らず、一般の組合員や他の信者の声によって軌道修正が図られることはなかった。
かえって、礼拝その他の宗教活動と同じように、代表者の決定事項を他の信徒に教育によって理解させるという方法に終始した。ライフアイゼン式CUという形式について組合員と議論することもなければ、立法化を目指して組合員を叱咤激励するというやり方を変えるということもなかった。
信者にとっては理念に共鳴こそすれ、参加するには時間や労力等の点で負担が重すぎた。呼びかけられても参加しない教会や信者も多く、加入しても積極的に活動に加わらず、一度きりの出資者である場合も多かった。「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。」(マタイによる福音書 11章 17節18)より)だったのである。そのため活動する者の負担は、更に重くなるという悪循環に陥った。
しかしというべきか、だからというべきか、組合の運営方針に異議を持ちつつ加入して議論しようという者は多くなかった。日常の教会活動で、神父や役員に親しみを感じることに、そして同時に決められた事項に従うことに慣れていれば、異論を唱えるのは難しい相談であった。
組合に参加して、指導者であった神父や専門家の献身的な働きをみていれば、異論を持ち出すのは更に難しく、最初から参加しない方が容易かったであろう。また、連合会の指導者と接することが一般の組合員よりも多い、各組合の役員にそのような情にほだされる心理がより大きく働いたとしても不思議ではない。かくて実情を知る組合員や役員は、専門知識を持つ連合会の指導者に対して親しくなったが故に、異論を率直に口にできなくなっていった。
また実際の運動としては、ライフアイゼン式CUに見込みがないからといって、他の方式に転換すればいいというものでもなかった。5、7章で示したように、アメリカ、カナダ、オーストラリア等のCUはシユルツェの始めた組合に近い方式で運営されている。しかしシユルツェ式では前述したように、客観的な信用力によって貸付の可否を判断するために、生活に困窮した人を助けるという当初の目的から外れる。また8章にあげた生活困窮者向けの融資となると、事業の運営が資金や人材の点で難しく、また困窮者の自立に果して繋がるのかも明らかになっていない。共助組合の活動としてはそのような難点に加えて、生活困窮者だけでなく信者全体の共同体を作るために始めたのであり、生活困窮者向け融資ではやはり当初の目的から外れるのである。
このようにライフアイゼン式CUが困難を伴っていても、他に良い方法も見つからなかった。八方塞がりに陥った指導者たちは、早く運動を発展させて行政に存続を認めさせようと、懸命に各組合を叱咤激励した。それを受けた組合員の方では、意識を合わせ、歩調を合わせて運動を発展させることが、逆に難しくなっていったのである。
日本共助組合の運動は、協同組織金融機関を作ること、生活困窮者の救済、またそういった人びとを含めた信者皆の経済面も含めた共同体を作ることの、どれにも失敗した。
社会活動はおしなべてそうであろうが、絶対的な正解は存在せず、またどの方法であっても実現に困難を伴った。そうであるほど目標を達成することと並んで意思決定の過程が重要となり、また過程を大切にすることこそが、目標を達成するための近道ではあるまいか。残念ながら共助組合では指導者が一つの解を提示してついて来させ、 指導者以外からの声を聞かなかった。声を聞かなかったために、組合へ参加することへの苦痛が余計に増し、運動の発展をいっそう妨げた。
指導者や専門家は、決定権を握るのがその役割ではなく、彼らだけで決定したところで意味をなさないことを、苦しみのなかで味わい、その苦しみと共に信者にさらけ出した。
各組合の役員は、連合会の指導者に口をつぐんで留まった者も、異論を指導者に伝えきれないまま途中で去った者も、盲従するのが忠実ではないことを骨身にしみて味わった。
各組合で、声を上げた組合員にとっても、異論を口にしないことを選んだ組合員や組合員以外の者にとっても、意見の衝突を避けていては互いに理解し合って共に活動するのが難しいことを、改めて知る機会となった。
聖書には、このような文章がある。「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。 」ガラテヤの信徒への手紙5章 01節16)
しっかりしろと言われても、自由に議論して本当に協働できる共同体になることは、かくも難しかった。
このような経過をたどった末に、共助組合の運動は形としては残らなかったけれども、過去の残虐非道な行いだけが、10章で示した補完性の原理に背く罪ではないことを示した。共助組合に携わった者は各人の弱さゆえに罪を犯しながらも、それぞれの立場から補完性の原理に向かって苦闘し、教会への証しを行ったのである。

献辞

この小論を、内容は一切お知らせしてありませんが、期間中ずっと私の精神的な支えになってくださった、イエズス会士イシドロ・リバス神父に捧げます。その助けがなかったら、書くこと自体ができませんでした。

文献
1) 古江晋也:「カトリック教会が広めた金融組織―日本共助組合の半世紀―」 農林金融pp.15-27 2015.2
2) 日本共助組合連合会編:「共助組合諸研究II―自助自立の共同体をめざして」 上智大学社会経済研究所 1975
3) 日本共助組合連合会:「共助組合ジャーナル」25号(1974年5月発行)~227号(2005年1月発行)
4) 日本共助組合連合会:「共助組合運動の歴史と課題」  1981
5) 日本共助組合連合会編:「共助組合諸研究Ⅰ(歴史編)」 上智大学社会経済研究所 1972
6)総務省統計局:平成26年経済センサス‐基礎調査 産業分類 分類項目名,説明及び内容例示
7)日本共助組合連合会宗教者委員会編:「キリスト教と共助組合:82.7研修会記録」 1983
8)坂井晃介:「自由・安全・補完性 -ドイツ社会国家の正当化論理をめぐる意味論的考察-」『相関社会科学』26号3-19頁2016
9)田淵進:「ドイツ信用協同組合グループの構造変化」大阪経大論集・第60巻第5号139‐156頁2010年1月
10)神戸大学経済経営研究所:「農業金融機関の組織と機能」 新聞記事文庫 農業金融及其機関(2-132) 満州日報1931.1.14-1931.2.3
11)日本共助組合連合会テキスト委員会編:「共助組合ハンドブック」1973
12)Donal Mckillop and John O.S. Wilson: ‘Credit Unions:A Theoretical and Empirical Overview’New York University Salomon Center and Wiley Periodicals, Inc. 2011
13)長山紗己:「マイクロファイナンスの日本導入に向けて NPOバンクの生活困窮者向け貸付の現状と課題」2015年度提出、一橋大学国際・公共政策大学院コンサルティングレポート
14)教皇レオ13世:『レールム・ノヴァルム』(Rerum Novarum:Acta Leonis XIII,11[1892],97-144)
15)橋本昭一:『バチカンの行動原理 近代教皇たちの社会回勅』コルべ出版社
16)教皇庁正義と平和評議会:「教会の社会教説綱要」マイケル・シーゲル訳 カトリック中央協議会発行 2009 186章
17)谷口照三:「『生きること』とその意味の探求への一省察 ―ヴァルネラビリティとサブシディアリティ概念を媒介に―」桃山学院大学キリスト教論集(49)133-157,2014-03-13
18)聖書 新共同訳 日本聖書協会 1989
19)デズモンド・モリス:「裸のサル―動物学的人間像」日高敏隆訳 河出書房新社 1969
20)ベルンハルト・へーリンク:「教会への私の希望 21世紀のための批判的励まし」真生会館学び合いの会監訳 2009
21)教皇庁国際神学委員会:『記憶と和解 教会と過去の種々の過失』カトリック中央協議会発行 2002
22)『第2バチカン公会議 公文書全集』南山大学監修 サンパウロ発行 1986
18

癒し効果2、ていうか暗号通信、ていうか小爆発

つまり言いたい事があるのだけど、あんまり知られてはまずいので、暗号通信。

相手には伝わって欲しいような、欲しくないような、解読できなかったらそれもよし、みたいな。
‥あり得ないかも知れない、暗号化どころか丸出しだよって。

つまり目的は、情報伝達でなくマグマを出すこと。
爆発なんで。
だから気の小さい方は、読まないでください。

ある集い。
思いつーか、何つーかを、分かち合う。
私は発表者に言いたいことがあったので、それを分かち合った。

発表者チームと何度か応酬。
ついにキレたらしく、精神療法は薬物療法と同時にやります、だって。
当たり前だっつーの。薬物療法だけやって精神療法しないって治療はないでしょうが。
それを同業者に言うのは侮辱と思わんかね?

そして私を癒してくれるとこちらで勝手に思ってる人が、今回もバッチリ援護射撃。
‥読み直して気づいたけど、いや思うたって変な意味ではない。あくまでも専門領域においてなので、誤解のなきよう。
ていうか私みたいに、何言ってるか分からんようなモゴモゴでなく、明快に主張してくれた。
と思う。妄想かな?

主宰者も、私の言わんとしてるコトを分かってくれたように思った。
これも妄想?

そして癒し発言の後、またもや変なオッタンが他人の言うこと何も聞いちゃいねーなって事を分かち合ってくれた。

あーあ多職種が集まっても自分の考えを言い募るだけなら意味ないし。
議論てものは、ほぼない。
出来ないから、わざわざしないように仕組んでいるのか?

それも含めて、司会者。
こちらが勝手におしかけといてなんだが、一言。
いね。

で正気に戻って。
怒りというのは、ダライ・ラマも言うように?、身体に悪い。
どうも怒りを引きずる人は、予後が悪い。
じゃー怒らないようにしたら良いのか?
それもちょっと違う。
TPOを弁えて適切に処理しましょう、自分の中に溜まった怒りが、アタマと身体を蝕んでいかないように。
こんなところだろうか。

自分はボツボツと小噴火してマグマを溜めないようにしている。
TPOを弁えているかはちょっと‥だけど。

幸いなるかな

お盆休みに冒険してきました。

私には憧れている人生があって、自分はいくじがなくて出来ないけど、実行している人に時々出会います。

今回も意図した訳ではないけど、そうでした。

スペインの、アルハンブラ宮殿で有名なグラナダ‥近くの小さな村、モンテフリオに行ってきました。

そこに住むイギリス人の家に泊まってギターを習いました‥といっても盆休みの数日ですが。

幸せな人は、そのギター教師です。

Clive Davies さん、73歳。

オクスフォード出身‥故郷がそこなのか大学がそこなのかは、言葉の問題もあって分かりませんでした、ハハ。

以下も同様に、聞きとりが間違っていたらゴメンなさい、です。

南アフリカに数十年住んで建築関係の仕事をした後、現在は奥様とスペイン、モンテフリオ在住。

ギター教師で生計を立てているらしい。

年金がないからね、ずっとこうして働くんだよ、とのこと。

ギター教師の合間にはクラシック曲の編曲‥どんどんアレンジして、元の曲とは様変わり、もはや作曲になってる。そして演奏を録画してはインターネットにアップ‥をして時間が過ぎる。

奥様と3人でフラメンコを聴きに行ったときも、翌日のレッスンで、歌をきいたら興奮してなかなか眠れなくなってしまったと言っていました。

スペインの習慣なのか、コンサートが夜12時近くから始まるってのがまずおかしい気もしますが、お金はないけど歳とっても芸術に感動して眠れなくなってしまうような生活なんて羨ましいなぁと思いました。

‥私はというと芸術オンチなので、変なおばはんが出てきて妙なコブシをつけて演歌をうなった、ひゃーここはやはりヨーロッパじゃないのかもと、せっかく連れてって貰ったのにあんまりな感想でした。

じゃあそのクライブさんが人生はお金じゃないよ、芸術が大事だよって、仙人みたいな暮らしをしているのか、老ヒッピーか、ジャンキーなのか流浪の民かというと、もちろんそんな事はありません。

奥様とこぎれいなお家に住み、庭で葡萄やサクランボを育て、健康的な手料理を楽しみ、二人で生徒を家に泊めては世話をし、ギターの指導をして生活しています。

レッスンもクラシック的な、あるいはフラメンコの指の動かし方を丁寧に教える、と同時にコードはどうやって出来ているのか、移っていくのかの理屈も教えてくれるという幅の広いもので、物の考え方・暮らし方を反映しているなぁと思いました。

‥しかし年金はない、兄弟や子どもは、それぞれイングランド、南アフリカ、オーストラリア、その他と散り散りに住んでいるそうです。

孫に滅多と会えないから、同じ村に住むイギリス人とそのバングラデシュ系奥さんの子どもたちを孫みたいに可愛がっているんだよって。

いやまあ私たち皆、所詮は地上の旅人ですからって思いはするものの、ほーと感心するやら何やらという感じで帰ってきました。

 

初心に帰れ?

毎日毎日(仕事の日は)精神疾患を診ています、当然ですが。
それ以外の疾患は自分自身が診断治療することはなく、小耳に挟むだけです。
普段はそうなのですが、それで済まないことがたまにあります。
「心臓」に悪いです、気が小さいもんですから。

こないだ来られた方‥意識障害でした。
そういえば医師免許をとって1年目に「研修医当直マニュアル」を買いました。
意識障害をみたときには‥どんな検査して何を鑑別するかって、そういうマニュアルです。
それが自分にしっかり身についているかって‥?

わー‥夕方近くでした。
意識障害、脳血管疾患、引き受けてくれる病院を探す、見つからないと困る、、、もう走馬灯状態です。

意識障害以外に、局所徴候はありませんでした、そういえば。
しかしとって貰わないと困ります。
某病院の救急外来に脳血管障害の疑いで引き受けて貰いました。

そのあと入院されたとお知らせが来ました。身体所見がなくて精神症状だけなのによくも救急外来に送ったなこのヤローという失態だけは避けられました。
‥内科に入院と書いてあったのが気になりましたが。

まもなくご本人が再度受診されて、紹介状の返書を持参されて種明かしとなりました。
やっぱり身体状況の異変による意識障害だったのです‥脳血管疾患以外の。

意識障害を脳血管疾患とだけ結びつけたら、試験落ちること間違いなしです。
当たり前です。
おそらく学生時代とか研修医時代なら問題と解答がパッと浮かんだかも。
しかし、現在の私はパッと浮かびませんでした。

当院には検査設備は殆どありません。
でも考えなくていいという訳には行きません。
意識障害を起こす病態のうち、比較的多いものはすぐアタマに浮かばないとマズいです。
‥今考えて、低血糖高血糖低酸素高熱ぐらいかなぁ‥うーむ今もやっぱりマズいです。
ちなみに解答は、低ナトリウム血症でした。

対策としては、「研修医当直マニュアル」を本棚から探し出して時々眺める?
精神科外来やってて見逃したらマズいもののアンチョコを自分で作る?
多分自分の経験だけからだと、こういう事自体が滅多とないので、経験を蓄積していってとはならないのです。
さて、どれにしよう。

それはそうと、全然見当違いのこと言って送りやがったな!と思われてないか、つまらない事を気にしたりしています。