癒し効果プラス‥

学会でどの発表を聞くかって、賭けなんですねぇ。

一日一個当たりが出れば、ラッキーと思っています。

2日目の当たりは‥精神医学の哲学ってシンポジウムでした。
鈴木貴之という哲学の人が、生物・心理・社会モデルの話をしてくれました。
ナシル・ガミーという人が、生物‥モデルの批判を本に書いていて、私も数年前に買ったのですが途中までで挫折して‥いや始めの頁もとても面白かったけど‥どうして生物‥モデルがいけないかまで行きつかなかったのです。
それが数年ごしで、やっと分かりました。
ガミーは生物‥モデルを全否定したのではなくて、3つの側面を検討せず批判なく取り入れて社会的な問題のある方に(ついでに)薬もちょっと出しておこうか、みたいになるのをダメだと言ってるようです。
(鈴木先生の話を私なりに解釈したので、間違っていたらスイマセン)
私としては、これはとても納得で良かったのですが、それ以上に癒し効果があったのですね。

失礼なことを書くと、学会には鈴木先生みたいな、いわばガイジンさんがゲストスピーカーとして来るのです。
学際って大事だからねってことで。
で、学際。
数年前にどうも精神科臨床のお勉強に行きづまりを感じて、「そうだ、学際だ」と探検したことがあります。
医療人類学という取っつきやすそうな分野の先生を見つけて、著書を読んだり研究会に行ったりしてみました。
‥うーん、どこが臨床に役立つのか、私には分かりませんでした。
ところが何年か前の学会で、その先生が話していたんです。
そうか私が理解できないだけで、この先生は評価されているのか‥と思いました。
逆に自分は分かってないということかと、ちょっと凹みました。

今回の鈴木先生の話で、(私からみて)臨床に役立つ学際的な方向性が示されて、自分がそれをもし充分ではないとしても受けとれたことに、すごく安堵したのです。

あ、そういえば学会前夜にも癒し経験があったんでした。
ある研究会に(元)偉い先生が来るのですが、波長が合うのか、普通はあんまりそうは言われてないけどホントはそうだよねって内容のご発言が多いのです。
これは誹謗中傷かも知れませんが、その先生はかなり上から目線で、そう言っても喜びそうな感じがしないので、黙ってますけど。

司馬遼太郎の小説に、主人公が方々旅して師を探し歩くって場面があります。
そういうのを、研究会と学会に感じたのですね、めでたし、めでたし。
あ、休診してご迷惑をおかけしました。
診療のバージョンアップを期待しててください。ってそう簡単には行きませんが。

準・実況中継

今日は朝早くから家を出て、名古屋まで学会に来ました。

で‥聴こうと思っていた演題は会場満杯で、しかも地べたに座ったまま寝てしまいました。
降参して、もう出てきました。
きっと若くないので体力が追いつかないのです。
早くホテルに帰りたいのう。
しかしポイントを貰うために待ってないといけません。

今朝は5時起きです。
新幹線の中で寝ました。
朝一の演題でも寝ました。

2番目は結構面白かったので、聞いていました。
質問したら、変なコトを言われました。
でも座長の先生が援護射撃してくれ(たような気がし)ました。
考え過ぎ? 妄想?

午後一は、またつまらなかった。
で今日最後は満員でギブアップ。
今日の一日、何だったのでしょう。
つまらない話と、小刻みな居眠り。
睡眠リズムが崩れて寝つけなくなっても困るなあ。

やっぱり今日の個人的ハイライトは、2番目のシンポジウムです。
お題は統合失調症の神経心理とかって。
うち一つは、慶應大学の三村將先生の発表‥Sense of Agency という初めて聞く言葉についての研究でした。
自我障害で、何かを自分がやったか、他人がやったか分からなくなったりすることについて。
でも納得いかなかったのです。

パソコン上で、マークが動いている‥ブザーが鳴ってから被験者がボタンを押すと、マークがジャンプする。
被験者は、自分がボタンを押したからマークがジャンプした(と思う)かどうかを答える。

ボタンを押してからマークがジャンプするまでの時間を伸ばしていくと‥健常者では自分がボタンを押したからマークがジャンプしたと思う人が少なくなる。一方、パラノイアに人では健常者より、自分が押したからと思う人が多い。

ボタンを押したらマークがジャンプするよう設定してある。
‥だから自分がボタンを押したからマークがジャンプしたと思うのは正しい‥と思うよね、普通。
てことは、ボタン押してからマークがジャンプするまでの時間が長くなったときに、より正しく判断したのはむしろパラノイアの人でないかと、質問しました。
返答は、私には全然訳分からなかった。
だから再現できない。

席に戻った。
あとで座長の島根大学堀口淳先生が、このテストは被験者の能動性によって結果が左右されるかと聞いていました。

うーん。
例えば新しく集団に加わったとき、自分の振る舞いがどうとられるか、どういう反応されるかって気になる。
ていうか、気にしないといけない。
こういうときは、自分の行動と、相手の振る舞いとを関係づけて判断する傾向が強い筈だ。
その方が適応的だと思う。
いつでもかつでも関係づけてたら妄想的ってことにはなるけど。
だからね、パラノイアの人はいつでもかつでもで困る訳だけど、場合によっては必要な行動特性なのよね。

そういうことを考えたのだけど、殆ど全部が自問自答なのが残念だ。
だからこうやって書いちゃう訳だ。
全く執念深いなぁと自分でも思うけど。

でもせっかくの学会は楽しまないと。
そして自分の楽しみは、どうかこうかと追求することだから。

本日の中継おしまい。

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