世紀末ウイーンか、ジェイン・オースティンか

とある分かち合いの会に参加して約1年たった。
育ってきたところが違えば、身につけた文化もそれぞれなのは当たり前と思いながら、それでも違和感が大きかった。
そして扱うのが文化のなかでも教育資本なので、ってことはその資本を元手に食べているので、ちと問題があった。
つまり、皆ちがって皆いい、なのか自身の持つ資本に問題があるのかってことになるので。
いってみれば誇大妄想と微小妄想の繰り返し。

 

‥自分もいつの間にか、人生後半に来ている。
ひゃーびっくり。
分かち合いの会に行くと、年下がどうやら多い。
そのとき人がよく思うのはだいたい、若いもんは全く‥だ。
私もやはりそっちに走ったり、逆に自分は見よう見まねでやってきただけだしなぁと思ったりの繰り返し。
精神衛生にはあんまり良くない。

何がって、毎回の叩き台と、議論が。
私には重要と思えないことが詳細に語られ、逆に不可欠だと思うことが出てこない。
ん?
職種が違えば関心のありかも違うからかもと思ったが、そうとばかりも云えない。
同業者の先輩とは関心を共有している感じがするので、やっぱり若いもんの問題だと正直、思っていた。

‥けど、ちょっと前に新しいアイデアが浮かんできた。
良い悪いでなく、世代の差だよなあって。

家庭、学校、職場、その他の場所で、固有の機能はあれど人間関係も付いて回る。
付いて回るけど、それは一義的ではないと私なんかは思う。
見ない訳にも行かないけど、そればかりじゃないでしょと思う。
自分の趣味でいくと、学校でベンジョ飯だろうと省かれていようと、居たたまれないってことがなくて学業に支障がなきゃいいのだ。

分かり合える人とは分かり合えるし、分かり合えない人とは分かり合えない。
それを承知の上で、互いになるべく権利を侵害せずに学業を修める。
そう出来るようになることが社会化ってことじゃないかと思っている。

 

が‥分かち合いの会に来る面々は、私とは大きく意見が違うみたいなのだ。
要するに、人間関係そのものが大事、それが目的、場所によらず。
だから人間関係がどうで、相手が関係をどう思って、自分がその関係をどう思って、そう思う自分についてどう感じてって話が延々と語られる。
はぁー? それって、そんなに大事ですか?
どうも私には理解できん。

しかし人間関係ってこの頃の若い人にはすごい関心事らしい。
学校での重要事も、学業よりはまず人間関係らしい。
? ますます理解できん。
理解できなくても、そういう事らしい。
今の時代の趨勢はそうらしい。
あぁ年とったなぁ若い人たちと感覚が大きくずれちゃったみたい‥。
いや同世代とも元々ずれてるって意見もありますが。

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