「うつ」の構造。しつこく第3章・・・論より証拠

修飾語が変かも知れないが、文章がのっけから結構、衝撃だった。
「はじめに」から、いきなり「うつ病の概念も病態も変わった。」である。
何事だ?!
しかも「1960年代・・・内因性うつ病の臨床経験を持つ臨床家であれば、この現実を否定するものはいないであろう」とまで言う。そして「諸家が指摘する病像そのものの変化」と続く。

「概念」が変わってもいいと思う。新旧の対照ができればいいだけなので。
しかし「病態」が変わった? 「病像」が変わった? そしたら何が共通なの? 牛島先生は、何をもって新旧とも「うつ病」とするの?
それを知るには本文を読むしかない。牛島先生の説く「変化」を一つずつ追ってみる。
「軽症化」。軽重にかかわらず、思考制止があるという。軽い思考制止ととるかって問題かも。
「不安症状の併発」。自分の経験した症例で、大学病院(牛島先生の病院ではない)に入院をお願いしたら、退院時紹介状に「不安を主症状とするうつ病」と書かれていて、ひっくり返ったことがある。
「躁的要素の混入しやすさ」。別にこれは良いんじゃないの、気分障害だし。
「病前性格の変化」。「内因性うつ病」をいうなら、これは重要ではないのか。「あまり目立たない性格傾向」でもいいの?
「発病における状況因の変化」。喪失体験でなく、傷つき体験に変わってきたという。「傷つき体験」を契機に発症したら「うつ病」でなく、「心因反応」か「神経症」と診断する精神科医も多いのじゃないか?
いやいや契機でなく、症状やら病態構造やらをしっかりみれば両者は区別できるのだ、それが名人ってものだと、この本に出てくる内海先生や古茶先生なら主張するかも知れないけど。
そこで思うのは、「論より証拠」である。
精神疾患の診断を語るとき、牛島先生も書いた「1980年に導入されたDSM-Ⅲの影響」は外せない。医局の古い先生にお会いする機会があって、そのときに面白い話を聞いた。若い精神科医(もしくは医学生?)が米国精神医学会のボスの病院に患者を装って入院し、そこでの診断治療を通してDSM-Ⅱの不備を暴き出し、DSM-Ⅲをそれまでの路線から大きく方向転換する契機にしたというような話だった。
アメリカ人って偉いよねーと、私はひどく感心した。身近ではあんまりそういう事をする人を見たことない。お行儀良くすることに専念して、蛮勇を振るわないのだ。
それを私はこの本にも感じる。例えば牛島先生が文中で紹介した症例に対して、他の著者はどう診断するのか言ってみろってんだと、私は本のこちら側で思う。もっと良いのは、実際の患者を一緒に診てそれぞれがどう診断するか比較してみて欲しい。本にするときに個人特定されないようにすれば良いだけじゃないかと思うので。そうしないのにはいろいろ理由があるんでしょうかねー。
話はころっと変わって私なりの結論。「内因性うつ病」の理念型に固執してそれ以外はうつ病じゃないと診断していた従来診断は間違い。0をうつ病とするって言っても、現実の世界に0に限りなく近い事象はあれど、0はないだろう。やっぱりうつ病もスペクトラムなんじゃないの? だから「境界」ってものは実際なくて、DSMみたいに新しい版になる毎に基準が変わっても当然でしょうよ。
しかしま、論より証拠たって、「論」がなきゃ情報交換というか文殊の知恵は出ないわけで、どうすれば良いんでしょうねえ。