マインドフルネス・・・これまた元サイトから持ってきました

マインドフルネス 

 ヴィパッサナー瞑想に続いて、今度は今朝の新聞に「マインドフルネス瞑想」の記事が載っていた。某有名精神科医がクリニックで指導しているという。

静かに座って、目を閉じて、心を落ち着ける・・・雑念が浮かんできたら、自分の呼吸に意識を集中する・・・そういうふうなことが書いてあった。

全然習ったことはないのだけど最近またヨガに関心があって、年が明けたら短期間だけインドに習いに行こうかと思っている。インターネットで検索して知ったのは、ヨガは「解脱」に至る修行の一つだということだ。あるサイトにはいわゆるヨガの合間に講義でこんなことを聞いたと書かれていた。

自分は「壷」だと思っていて、実際に現世では「壷」かも知れないが、壷は土で出来ていて壊れると土に還る、一つの「壷」は他のものになったり出来ないが、土は他の土と混ざり合って一つになる。
自分が自分がと言って利己的になったり他人とは別だと思っても、現世の自分は儚いのだ、人類全体、地球全体が大事なのだ、みたいな。

うーん、そんなコト言っても今の自分は大事だし、どうせ「壷」だから早く壊れて土になっちゃえとも思えないし。だいたいそれって現状追認、インドで言えばカースト制度是認、生まれによって人生が決まるのを当然視するのにつながるんじゃないかと思った。
日本ならブラック企業に勤めちゃった場合も、どうせ現世はすぐ過ぎるから言われた通りに働いていれば良いってなるんじゃないか? アメリカの超有名企業が社員の研修にマインドフルネスを活用していると書かれていたのもクサイ。社員を洗脳して思い通りに働かせようってこと?
そんなふうに疑念が次々と湧いてきて、そのあと別に瞑想したわけでもないけど別の考えが浮かんできた。

 

 

 

 マインドフルネス、続き

 困った状況に置かれたときって、誰でも冷静さを失いやすい。怒り、困惑、焦り、、、そういう情動に支配されてしまうと、自分がどう対処するべきかを冷静に判断するのが難しくなるのだ。落ち着け、冷静になれと自分にただ言い聞かせても、すぐには出来ない。

瞑想というのは、周囲をありのままに見て冷静に判断するための技法なのかも知れない。そのあと現状を追認しようと、改革を志そうと、ダライラマみたいにチベット民主化に一生を捧げようと、瞑想で得た精神状態をどう使おうがご自由にどうぞってことじゃないか。

どうも研修、指導というと、大勢で集まって富士山の裾野で号令の下、一斉に大声を張り上げるとか、同じ事を唱えるとか、全体主義、洗脳、みたいに自分の場合は思考が進むようだ。だけど瞑想することで逆に、不要に自分を縛るもの一切から自由になる、のかも知れない。
そう、今の自分にとってすごく大事で、それを失ったらもうお終いだ、みたいに思うものがよく考えればそうじゃなかったと気づくみたいに。

この仕事に失敗したら、この受験に合格できなかったら、この課題をうまくこなせなかったら・・・よーく考えると「その場では困る」かも知れないが、「お終い」なわけがない。
テンパっているときに、それを思い出してふっと肩の力が抜けるような・・・それなら瞑想してもいいかなあとも思うけど、まあ面倒なのでやらない。

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