ひとり読書会『「うつ」の構造』再び第3章

『「うつ」の構造』再び第3章  

 牛島先生なのでそりゃあ当然かも知れないが、うつ病に限らず精神療法についてこの章に書かれていること全部ナットクである。 しかし身近では研究会だの勉強会だのに行っても、そんな内容を聞いたことがないが何でだ?、演者が牛島先生じゃないから??(爆)

まあとにかく、良いと思ったところを引用する(途中一部省略)。

「精神分析的治療では・・・内因性うつ病では自我と対象の分離を図るべく自己に対象と対峙させる接近が勧められた感があった。しかしながら、その精神分析的努力はことごとく失敗に帰したことを銘記しておく必要がある。

その一方で、精神医学的にはシゾイド、循環病質、神経質そのものには手を加えようとはせずに、それぞれの基礎人格の上に社会的人格を再構築すべく手を貸す治療的接近が試みられてきたわけである。

いわば、両者を比べるとき、精神医学的接近の方がより有用であり、無理がないことは論じるまでもないであろう。」

そう、「分析」では「育てなおし」だとか何だとかって、基礎人格を作りなおそうみたいな気色の悪いことを言われたりする(と私は解釈している)が、余計なお世話よねってことだ。

 

  『「うつ」の構造』、再び第3章

 では何をするかというと、引用に戻る。

「筆者のような古い世代の治療者であれば指導というかたちをとることになるであろうが、同世代の治療者になると、場面場面での考え方を話し合いながら身の処し方を二人で捜していくという過程が待っている。
これは認知行動療法におけるポジティブ思考の探究に通じるであろう。

当然のことながら、この接近が、うつ病がもたらした低下した自己評価を高める接近、あるいは新しい人生方向を捜し求める接近に通じることは論じるまでもない。」

「患者に生活を遂行していくことの自信喪失、いわば自己評価の低下があることを認識しておくことである。そして、その背後に発病時に持った社会生活の中での傷つき体験があることも知っておきたい。」(引用ここまで)

とにかくうつ病では「傷つき体験」に伴って「自信喪失」があり、日常生活において歯車がずれてうまく回らなくなっているので、「身の処し方」を話し合いながら自己評価を回復させていきましょうということだと思う。

そういう精神療法に加えて、休養や環境調整が必要だったり、時と場合に応じて薬物を投与していきましょうってことで、うつ病の治療はメデタシめでたし、何の問題もないじゃん・・・かというとそうでもない。

牛島先生の文章にも出てきた「傷つき体験」については、診断が「内因性うつ病」なのか、「心因反応」なのかが大問題なのだ。それを書くと長くなるので、次回に。

コメントを残す